梅津行政書士事務所

雑感

梅津雑感(9月14日)

「There’s a place in your heart

 And I know that it is love

 And this place could be much

 Brighter than tomorrow.」

(「HEAL THE WORLD」より 詞 Michael Jackson)

  核の脅威をちらつかせ国際社会に対し不気味な挑発行為を繰り返す国に対し、国連は経済制裁を決議しました。この経済制裁が果たしてどれほどの効果があるか、当該国がどのような反応を示すか、評価は難しいと思います。当該国の国民一人ひとりの様子をうかがい知ることはできませんが、今回の経済制裁が当該国の国民生活に及ぼす影響は小さくないと思われ、一国の一部の指導者によってもたらされる負の影響は常に国民一人ひとりが受けるのだという構図をまた見せられました。

 挑発行為の目的は何か、どう対処するべきなのか。遠い北欧の国が仲介役を申し出たというニュースもありました。国際協調とは、平和とは何か、考えさせられます。翻って我が胸のうちは平和だろうか、などと思う秋の夜長です。

 

日本国憲法

前文(抜粋) 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

梅津雑感(8月14日)

「埴生の宿も わが宿

 玉の装い うらやまじ」

(「埴生の宿」より 詞 J.H. Payne 訳詞 里見義)

 

 先月は「文民統制」「シビリアンコントロール」という語をよく耳にしました。あらためて法律学小辞典をひいてみると、「軍人に対して文民が指揮権をもち、統制するという建前」とあり、次のような興味深い解説も記載されていました。「(中略)自衛隊の組織と実力が大きくなった現在のわが国において、政治が軍事に優越しなければならない必要性がますます高まっているといえよう。」

 はて、日本には建前上は軍隊はなく(総理大臣が自衛隊を「わが軍」と称したことはありましたが)、軍人もいないはずなのに。同じく法律学小辞典によると、「文民」とは実務上は「過去において職業軍人の経歴を有しかつ軍国主義思想に深く染まっている者以外の者」かつ「自衛官の職にある者以外の者」としているそうです。

 そうすると話題になった元防衛大臣も「文民」には違いなく、外形的には「文民統制」は効いていた、ということになりそうです。

 今回の問題は、軍事に対して民主的統制を加えることで軍事が政治に優越することを未然に防ぐという意味での「文民統制」が問題なのではなく、海外で危険な任務に就いている自衛隊の撤退時期の判断において非常に重要な情報の取扱いが相当不適切だった、これにより自衛隊の撤退が遅れた、ということかと思います。取り返しのつかないことにならなかったのが、せめてもの救いです。

 現場から寄せられる貴重な生の情報の取扱いと指揮系統、その判断を事後に質された際の情報開示等、悪いお手本をたくさん見せられたような気がします。

 

日本国憲法

第66条2項 内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。

第9条2項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 

 

梅津雑感(7月14日)

「僕らの自由を 僕らの青春を

 大げさに言うのならば きっとそういう事なんだろう

 何もそんな難しい事 引き合いに出されても

 知りません全然 だから 気にしないぜ とにかく行こう」

(「イージュー★ライダー」より 詞 奥田民生)

 「表現の自由を100%享受できる喜びを感じている。」

 自由に思うところを発信することが憚られるような役職から解放された方が発する一言ひとことは、重く、しかしとても輝いて胸に響きました。

 他の人権との衝突や一定の職務により制約を受ける場合があることはやむを得ないものの、「表現の自由」は、「自己実現の価値」(自身の人格的成長に不可欠)とともに「自己統治の価値」(民主政の過程に不可欠)を有することから最大限尊重されなければならず、不当な圧力による制約など許されるものではないことは、成熟した社会においてはもはや誰もが十分に承知しているはず。

 それでもなお、発言者に対する個人攻撃や差別的取扱いをしたり、「こんな人たち」と一括りに排除しようとしたり、自由を脅かす雰囲気が気になります。

「国民が知らなければ、国民がそれを是正することもできませんから。」

 この直球、届きませんかね。このところ寝苦しいのは熱帯夜のせいばかりではないのかもしれません。

 

日本国憲法

第21条1項 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。


 

 

 

梅津雑感(6月14日)

「Our life together is so precious together

We have grown, we have grown

Although our love is still special

Let’s take a chance and fly away somewhere alone」

(「(Just Like) Starting Over」より 詞 John Lennon)

 先日、プリンセスのご婚約という喜ばしいニュースが報じられました。報道をみるかぎり若々しくとてもお似合いのカップルのようでした。

 皇室を取り巻く環境は天皇退位や女性宮家創設の構想等、大きな変革の時期を迎えており、皇族の方々は生まれながらにして大変なご苦労と責務を背負っておられることと推察します。皇室についてはデリケートな問題もあり軽々に論じることはできませんが、同じ国民でありながらこれで良いものか、と思うところもあります。若いお二人はしばらくは何かと世間の注目を集めることと思いますが、せめて遠くからそっとご多幸をお祈りしたいと思います。

 日本国憲法

第24条1項 婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

 

 

 

 

梅津雑感(5月14日)

「When I was small, and Christmas trees were tall

 We used to love while others used to play」

(「First of May」より 詞 BARRY,MAURICE&ROBIN GIBB(The BEE GEES))

  突如、与党総裁が憲法を改正し2020年に施行したい、との考えを表明してびっくり。それもビデオメッセージという手法で。第9条に第3項を設けたいらしいです。改憲議論を活性化したいのか、それとも他の論点から野党や国民の目をそらしたいのか、国会で本意を問われると「新聞を読め」との答弁で二度びっくり。どうやら2020年に、というのは東京五輪と関係があるようですが、もはやびっくりを超えて理解不能。一国の憲法の改正をスポーツの祭典に合わせる意味が分かりません。「ご乱心」の域か、と思った母の日、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

日本国憲法

第9条1項 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

同  2項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

第96条1項 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。 

梅津雑感(4月14日)

「いちねんせいに なったら

 いちねんせいに なったら

 ともだちひゃくにん できるかな」

(「一年生になったら」より 詞 まどみちお)

 

 新入生、新社会人の姿が桜に映えて眩しい季節です。新たな一歩を祝福したいと思います。

 さて、最近「女子力」という言葉をよく耳にします。「女子力が高いね」と言われると何となく褒められたような嬉しい気持ちになりますが、「女子力が低いね」と言われてしまうとやや残念な雰囲気です。ふと考えてみると、「女子力」とはかなりあいまいな言葉で、これといった対義語もなく、使われる場面によって意味合いも異なるようです。しかしどうもこの言葉には「男性受け」を強く意識した一面があるように思います。男女問わず周囲からの評価は気になるものですが、まだまだ女性は「男性からの評価」という評価基準を、時には肯定的に、時には自虐的に使うようです。「女子力」について深掘りはしませんが、新しい環境に飛び込んだ人たちは、おかしな評価基準にとらわれず伸び伸びと新鮮な空気で深呼吸してほしいなと思った春です。

 特に関連はありませんが、憲法の条文をあげておきます。

日本国憲法

 第14条1項 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

 

 

 

梅津雑感(3月14日)

「Teo torriatte konomama iko

Aisuruhito yo

Shizukana yoi ni hikario tomoshi

Itoshiki oshieo idaki」

(手をとりあって このまま行こう 愛するひとよ

静かな宵に 光を灯し 愛しき教えを抱き)

(「TEO TORRIATTE (Let Us Cling Together)」より 詞 Brian May)

 

親日家で知られたQueenがこの曲を日本語で歌ったときのファンの感激はいかばかりだったか、想像するだけで楽しくなります。震災以降、再びカバーされることが多くなったのも嬉しいことです。

昨年末に他界された渡辺和子さんの講演会を聴いたことがあります。講演内容はもちろん、口調や物腰まで慈愛にあふれた素敵なシスターで、とても心癒される豊かな時間だったことを覚えています。シスターは著書に次のように記されています。少し長くなりますが引用させていただきます。

「…心のゆとりをつくることを、私は若い時に一人の人から教えられた。その人は、傷だらけの自分に愛想をつかしていた私を優しく受け入れ、“傷口”に包帯を巻いてくれた。さらに、傷つくことを恐れなくてもいいこと、一生の間には何度も挫折を味わうだろうが、その度に立ち上がること、そして人間には、自己治癒力が与えられていることも教えてくれたのだった。 その時以来、私は強くなった。傷ついても大丈夫という思いが心にゆとりをつくり、傷から目をそむけることなく、自分で手当てすることを覚え、さらに他人の傷に包帯の巻ける人になりたいとさえ思うようになった。」(『目には見えないけれど大切なもの』より)

私も最近似たような経験をしましたが、実はそれはとても幸運なことで、多くの場合、人は無数の傷を癒しもせずに抱えたまま、日々過ごしているのかもしれません。幸運な私はいつかきっとシスターの教えのように心のゆとりをつくり、他人の傷にも包帯を巻ける人になりたいと思います。もし一人でも多くの人がこのような気持ちになったなら、そしてその思いが広がり続けたなら、素敵なことだなと想像しています。

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梅津雑感(2月14日)

「So I called up the Captain, “Please bring me my wine”

He said, “We haven’t had that spirit here Since nineteen sixty-nine”」

(「Hotel California」より 詞 D.Felder / D.Henley / G.Frey)

 

美しく重なり合うギターの旋律が印象的な The Eaglesの名曲「Hotel California 」は、その含蓄のある詞が聞き手によって様々に解釈されますが、やはりアメリカの精神の終焉を憂う歌、と解するのが多数のようです。

砂漠に建つ堕落の象徴のようなホテルに立ち寄った旅人がワインを注文すると、「あの精神は1969年以来持ち合わせておりません」と返される。嫌気がさして立ち去ろうとすると、警備員に“You can check out any time you like, but you can never leave”とたしなめられる、という不吉な締めくくりです。

かつて世界のリーダーを自負した超大国は、今や「自国第一主義」です。就任以来、話題に事欠かない新大統領は、特定の国から人の入国を認めない大統領令を発動し、それを差し止めた司法府の判断まで批判しています。穏やかならぬ言動から目が離せず、この曲を思い出しました。さて、これから日本はこの大統領とどのようにお付き合いしていくのでしょうか。早々に訪米した総理大臣はゴルフを通じて何を得たのか、気になります。

梅の枝

 

 

梅津雑感(1月14日)

「Climb every mountain  Search high and low

Follow every byway Every path you know」

(「The Sound of Music」より 詞 Oscar Hammerstein Ⅱ)

 

「人生、山あり、谷あり」と言いますが、「天は、乗り越えられる試練しか与えない」とも言います。そうであるなら、私もこれまでに培った気力や体力、知力(?)、胆力などを総動員して日々過ごしていこうと思います。

また今年は降りかかる試練を克服するだけでなく、大きな目標や小さな目標をさまざま掲げて、「果敢に挑む年」にしたいと思います。「目指すもの」への道は一つではないらしいので。

これとはかかわりありませんが、年頭ですので、現行憲法の好きな条文をひいておきます。

 

日本国憲法

第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

第97条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

白い鳥

梅津雑感(12月14日)

「なけない女のやさしい気持ちを あなたがたくさん知るのよ

無邪気な心で私を笑顔へ導いてほしいの ぎゅっと私を抱きしめて」

(「やさしい気持ち」 詞 CHARA)

 

なつかしい曲をテレビCMで耳にして以来、少し気持ちが軽くなったように感じています。

さて、世相を表す今年の漢字は「金」だそうです。ひたむきに挑戦し続けた汗と涙の結晶であるメダルの「金」、エンブレムや競技場の当初案白紙撤回で無駄に支出された都民の「金」、有権者を欺いて不正に受給していた地方議員の「金」…。輝かしいものからくすんだものまで、様々な「金」が思い浮かびますが、皆さまはいかがでしょうか。

また、今年も自然災害の多い年だったように思います。日本で暮らすということは、常に大自然の脅威にさらされているのだということを思い知らされる一年でした。

来る年が、できれば災害の少ない、晴れやかな気持ちになることが多い一年となりますように。

今年もお付き合いくださり、ありがとうございました。%e3%82%b7%e3%82%af%e3%83%a9%e3%83%a1%e3%83%b3